2013/03/31

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「好きな数は何ですか?」
「私は、144と145が好きです」

どうして好きなのかというと、
学校でしか会わなかったクラスメイトと街で偶然会って、
そのうちに相手のことを意識して恋に至るように、
私は144とも145とも、
偶然の出会いからお互いの意識が始まるのですが、
深刻なことに この国では重婚は認められていないので、
最終的にどちらかを選択しなければなりません。

12の二乗というすばらしい長所のある144。
一方で145はこれと謂った長所は無く、
5で割っても、29なんて不細工な数になってしまうのですが、
145は私の初恋の数です。
初恋というものはなかなか忘れられません。
そう謂うこともあって、私は145を選びました。
145のことを毎日5で割ったり、5を足して100で引いたりして、
幸せな日々を過ごしました。

そしてある日、私は数列の中で迷子にりました。
初項、第二項と辿って行ったフィボナッチ数の中で、
偶然に144と再会しました。
私たちは何か特別な運命を感じました。
私は144を抱きしめて、そして駆け落ちしました。

私は馬鹿でした。
フィボナッチ数は自然界の現象に数多く出現します。
そんなことも分からずに、144と駆け落ちしてしまったのです。
144は私にいつも付きまといました。
私は144をうっとおしく思うようになりました。
144はストーカーになっていたのです。

私は逃げ出しました。
出来る限りの自然現象から遠ざかりました。
数列にも近づきませんでした。
灯台下暗しだと思い、私は143のところに身を潜めました。
そして私は143に手を出してしまったのです。
つまり、私はロリコンになってしまったのです。

2013/03/19

05


電化製品を分解することで、アフォーダンスという概念を学んた。
蓋の位置、ねじの方向、部品の接着方法、
その物の状態を観察して、その物の役割や意味を推測するのに熱中した。
プラモデルを組み立てる時も設計図は見ない。
観察と工夫と試行錯誤による興奮。

何か。
何かを理解したり、名前をつけたり、概念化たりするとき、
我々はその何かに、何かしらの意味を見出し、または与える。

ここに、ハゲとチビと出っ歯とノッポがいるとして、
そいつらの存在に意味を与える。
ボインと茶髪と眼鏡と天才にも、
何かしらの意味を見出し、与え、
それが出来なければ、彼らを排除し、迫害する。
結局はそれによって意味が見出され、与えれたことになる皮肉。

ミームが複製されて複製されて、
誰かが既に通った発見の道筋をトレースしていても気が付かない。
我々はもう発明家の気分なのだ。

2013/03/04

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「唐突に走り出す」

などの、急激な運動をすると、口の中が鉄の味わいになります。
鉄の味わいが口の中に広がると、私は小学校の持久走を思い出します。

校庭には一周200メートルのトラックがあって、
最後の角を曲がるところに、背の高い鉄棒と砂場がありました。
砂場は砂遊びする為のものではなく、
高い鉄棒から着地したときの衝撃を吸収するのものであったかと、
記憶しています。

そんな砂場を通りかかる度に、
体力が無かった私は、そこに倒れこむ自分の姿を妄想していました。

ざっ、ざっ、はぁ、はぁ、
ざっ、ざっ、はぁ、はぁ、
白い空の下で半袖半ズボン、
白い湯気を吐いて酸素酸素と口を開けて
寒さで耳と脳味噌がキンキンになって、
目線の先にはあの砂場、
あの角を曲がれば砂場、と、それだけを考えていて、
口の中は鉄の味。

のしかかる重力。
反発する脚力。
地面を蹴って、大気を背負う。
一瞬、重力がなくなって、無重力。
目の前が空だけになって、地面を背負って、倒れていた。
クラスのみんなが、
みんな、駆け寄って来る、
みんな、心配する、心配、心配、軽蔑する。
みんなは、何で倒れないんだろう。
ほら、僕は倒れたよ。
みんなも倒れなよ、倒れなよ、倒れろよ。
担架に乗って、保健室に運ばれて、それから、それから。

結局、その砂場に倒れたことは、一度もありませんでいた。
いつも我慢して走りきってしまいました。
一度ぐらい倒れておけば良かったと悔やんでも悔やみきれません
処理されなかった願望と妄想だけが残ってしまいました。
人前での正しい倒れ方が、未だに分かりません。
そういうわけで、自分は今、道端に倒れているのです。

「道端に倒れる」